
作家・思想家 斉藤 啓一

本日は、このような素晴らしいゼミナールにお招きくださいまして、心より御礼申し上げます。ありがとうございます(拍手)。
本日は、私がかつて心理カウンセラーとして勤務しておりましたホスピスで、様々な患者さんと出会い、ともに語り合うなかで、患者さんから学ばせていただいたことをご紹介し、「喜びの人生とするためにはどうすればよいのか」を、皆様とともに考えていきたいと思います。
ホスピスというのは、重篤な病に罹られた方が、積極的な治療を断念して、残された人生を苦痛少なく、より有意義に過ごすための病院のことです。そこに入院されている患者さんとの会話をとおして、「人生、如何に生きたらいいのか?」あるいは、「充実した毎日を送るためにはどうしたらよいのか?」そして、「後悔しない生き方をするには、どうしたらよいのか?」というヒントを学ばせていただきました。
入院されている方は高齢者の方が多いのですが、なかには40代、50代の方もおられました。大体入院されてから1ヵ月から1ヵ月半でお亡くなりになる方が多く、やはりもう先がないということから、自分の人生を振り返られて、様々な思いが生じてこられるようです。
なかでも、「自分の人生には意味があったのだろうか?」ということを考える方が多く、ある意味では、哲学者のような感じになられるわけで、その思いを私にいろいろと話してくださって、そこから貴重なことを学ばせていただいたのです。
私はそのような患者さんに対して、「今までの人生で、一番幸せだったことは何ですか?」と質問をして来ました。
この質問をごく最近投げかけた患者さんは、私の父でした。父は直腸癌と肝臓癌を患い、2週間前に亡くなりました。ドクターに呼ばれて病状を伝えられた時に、父には真実を伝えるべきであると思い、もう手遅れの状態であることを告げました。
すると父は、自分の最期を受け入れる覚悟ができていまして、「そうか」と、淡々と自分の病状を受け入れてくれました。
私は逆に、親孝行も出来ずにこれで終ってしまうのかと、悲しい思いがしまして、父に、「お父さん、お金を貯めてもうちょっと大きな家を買って、親子で仲良く暮らそうと思っていたのだけど、それが出来なくて申し訳ありませんでした」と謝りましたら、父は首を横に振って、「いやいや、これでいいんだ。親子というものは一緒に暮らすと、小さなことでいがみ合ったりして、仲が悪くなることが多いが、私達はこのままで充分仲が良いじゃないか。仲が良いままで死ぬのが一番だよ。ただ、お母さんのことだけはよろしく頼む」と言い遺して、淡々と亡くなっていきました。
その父の姿に私達家族も救われた思いがしまして、「淡々と亡くなって行くのは、結構素敵なことだなあ」と、父の最期から学ぶことが出来ました。
その父に、生前、「人生で一番楽しかったこと、幸せだったことは何ですか?」と訊ねたことがあります。元気な頃の答えは、コツコツと働いて自分の家を持てたことが嬉しかったらしく、「そうだなあ、家を買ったことかなあ」と言っておりましたが、亡くなる直前に同じ質問をしましたら、「(母の)けい子と一緒に秩父の山に登ったことかなあ」と、平凡と言えば平凡な答えが返って来ました。
同じ質問を病院で何人もの患者さんに投げかけましたけれども、やはり同じような感じでした。つまり、お金が儲かったこととか、ブランドの持ち物や高級車に乗ったこととか、仕事で成功して出世したとか、そのようなことを死ぬ直前になって幸せだと語る人は、殆んどいらっしゃいませんでした。
では、どのようなことを幸せだったと感じられているかと言いますと、例えば家族と一緒に旅行に行ったとか、友人と一緒に趣味を楽しんだというような、意外と平凡な答えが返ってくるのです。
それらの答えには、自分一人がいい思いをしたとか、自分だけが楽しい経験をしたというのではなくて、必ず誰かと楽しさや喜びを分かち合った、共有したという、共通したものがありました。
この答えを聞き、誰かと仲良くした体験、あるいはもっと大袈裟に言いますと、愛し合った体験というものが、死の間際には、人生の幸せな想い出として甦るものなのだということがわかりました。
また、人生にまだ先があると思っている時は、人は近視眼的にものを観るのかもしれませんが、もう先がないとわかって過去を振り返る時には、人生を一つの塊として観ますから、もっと全体的なものの観方をするのかもしれないと思いました。
ですから些細なことで友人と喧嘩別れをしてしまった方などは、死を前にして仲直りしておけばよかったと後悔されたりするのです。
そうならないためには、自分があと一週間で亡くなる、あるいは相手があと1ヵ月の命だとしたら(縁起でもないのですが)、自分は相手にどう接するだろうかと考えながら接するのも、素晴らしい人間関係を築くうえで、良い発想なのかもしれないと思いました。
それともう一つ、これは意外でしたが、苦労した出来事や体験、それらがあたかも懐かしく、幸せな体験であったかのように思い出されるという方が多く、何か不思議な感じがしました。
これは何故だろうと考えてみますと、辛い苦しい体験であったとしても、それから目をそらさず、逃げずに乗り越えた、あるいは最後まで耐えぬいた、という体験をとおして、自分はこんなに成長できた、この体験によって他者を思いやる心が育まれた、あるいは人格が磨かれたということを、人は死に面して幸せだったと感じるのかも知れないと思ったのです。
ですから、極論を言えば、人は愛し合うことと、人格を磨くことをしっかりしていれば、他のことが余り恵まれずとも、後に「幸せだったなあ」と思えるのではないだろうかということを(拍手)、患者さんから学ばせていただきました。
教師をしておられた40歳の肺癌の患者さんでしたが、まだ小さいお子さんが2人いらっしゃいました。この方のご家族の献身的な介護がとても印象深かったのですが、残念ながら日を追うごとに病状が悪化して、一時昏睡状態になられました。もう駄目ではと思われたのですけれども何とか持ち直されて、昏睡状態から覚められた時に、本当に爽やかな表情をされていて、「人生で今が一番幸せだ。何故なら、これほど人の愛や温かさが解ったことはなかったから」とおっしゃったのです。決して無理をしているのではなく、心からそう語っておられました。愛というものが、かつてなかったほどリアルに感じられたのだと思うのです。
それからこの方は、家族や病院のスタッフに対して、「ありがとうございます。ありがとうございます」と常におっしゃり、感謝の念に満たされながら、本当に安らかに眠るように亡くなって逝かれました。死ぬ時に家族の愛情に満たされた患者さんは、安らかに亡くなって逝かれる方が多かったですね。
ただ、小さなお子さんをお持ちの場合は、非常に心を痛めて悩まれます。そのような場合、経済的な問題などは、ソーシャルワーカーと協力して、いろいろな制度があることを説明して安心していただけますが、精神的な面では、子供が成人するまでは愛情を注いで見守ってやりたかったという思いが深く、懊悩されるのです。
その様な方に対して、私は「未来のお子さんに向けて、手紙を書いてあげてください」と申し上げ、書いていただくようにしました。書き終わると安心されて、とても穏やかに死を迎えられるのです。
その手紙を配偶者に託して、お子さんが成人された誕生日などに手渡していただくようお願いしました。
お金を遺すことも大切ですが、子供にとっては自分が親からこんなに深く愛されていたという確信を得ることはもっと大切なことだと思います(拍手)。それが人生の困難を乗り越えて行く力となるからです。
60代前半の男性の患者さんでしたが、一度も家族が見舞いに来ないばかりか、亡くなられて病院を出られる時も、家族は一切の持ち物の受け取りを拒否され、棄ててしまうようにと言われました。
この患者さんはなかなか頑固な方で、家族にもガミガミ言う父親だったらしいのです。よく病院に対しても、細かいところまでクレームを言っておられました。
そのような方でしたので、一見すると、自業自得的な最期といいますか、そのように感じましたけれども、しかしよく考えてみると、医師や看護師にクレームを言うのはなかなか勇気の要ることですし、また病院はそのクレームによって改善されなければならないわけですから、実は立派な人だったのではと後に思い直しました。
むしろ、たとえ頑固親父でも、家族として一度も面会に来ないというのは、その方が問題なのではないかと思ったのです。
それと同時に、亡くなった後に自分を思い出す人々がいるわけですから、日頃から人と接する際の心掛けが大切だということを教えられたのでした。
ホスピスに入院しておられる患者さんは、死を目前にしていますから、「果たして自分の人生には意味があったのだろうか?」ということを真剣に悩まれます。これを医療の現場では、スピリチュアルペイン、「霊的な苦痛」とよんでいます。
不安やイライラなどの精神的な苦痛と区別されるもので、薬などによって癒される性質のものではありません。これは心理学も含めて、哲学や宗教の領域に関わってくるものです。
このようなスピリチュアルペインで悩まれる方が多くなったからか、WHO(世界保健機関)では健康の定義を改定しようという動きが見られます。現在の健康の定義は、「健康とは、肉体的、精神的、社会的に健全な状態である」とされていますが、改定案では、「健康とは、肉体的、精神的、社会的、そして霊的にスピリチュアル的に健全であり、なお且つダイナミックな状態をいう」と定義されています。スピリチュアルという言葉と、ダイナミックという言葉が付け加えられています。
ダイナミックというのは、生命力、生命が生き生きと活動していることであり、病気でなくとも眼が生き生きしていないような方は健康とは言いがたい。このようなことをWHOは言いたかったのではないかと思います。
もう一つのスピリチュアルの方は、哲学的、宗教的領域に関わってくる問題で、スピリチュアルペインを癒すには、宗教や哲学に深く関わった生き方をしていなければ、なかなか癒せないのではないかと思います。
ですから元気なうちから、哲学や宗教に深く結びついた生き方をすることは、とても重要なことではないかと思いました(拍手)。
けれども残念ながら、死を目前にした患者さんの中には「自分の人生は意味のない人生だった」と思い込んでいるような方もあります。そのような方に対して、どう接したらいいかということについて、一人の患者さんをご紹介したいと思います。
その方は50代前半の男性で、肺癌でした。余談ですが、病気になる臓器の部位と、その方の心の相関関係というのは、やはりあるように思います。例えば寂しさを抱えていらっしゃる患者さんは、肺が病んでしまう傾向があるようですし、怒りを抱え込んでいらっしゃる患者さんは、肝臓を病む傾向がどうもあるようです。これは他の研究者も発表していますし、私も何人かの患者さんに接してそう感じました。
この方を仮に福田さんとお呼びしますが、お母様との関係で、寂しい思いをされていらしたようです。幼い時に父を亡くし、お母様が女手一つで育てられましたが、長男だからしっかりした男に育てようと、厳しく育てられた。そのため福田さんは、自分は母に冷たくされて来た、愛されなかったという思いがずっとあったようです。
いつしかお母様と距離をおくようになり、滅多にお母様と会われなくなった。驚いたことに、自分が肺癌になり、もうじき死ぬということさえ、伝えていなかったのですね。
この方は建設会社の部長で、余暇に部下や子供達に古武道を教えておられました。そして仕事も軌道に乗ってきて、古武道の方でも益々活動するぞと意気込んでいた矢先だけに、すごく無念であるとおっしゃっていました。そこで私は、まずお母様と和解されるようお勧めしましたが、「考えてみる」とおっしゃるだけで、目立った行動はありませんでした。
福田さんは、「自分の人生には意味があった」と思えないような様子でしたので、私は福田さん本人や生徒さんらと相談しまして、『福田先生の思い出』というタイトルで、生徒さん達に作文を書いてもらい、小冊子を創ることを提案しましたら、「是非お願いします」ということになりましたので、生徒さん達から作文をもらって、パソコンで印刷のための原版作りに取り掛かりました。
しかし、福田さんの病状は日に日に悪化して行きましたので、間に合うかどうか、必死の思いで作業に取り組みました。一方、福田さんも意を決してお母様に会いに行かれたということを、後になってから伺いました。
福田さんはお母様とお会いしても、自分の病のことをすぐには話し出すことができず、仏壇のある部屋に行って、御仏前でご先祖様に掌を合わせて拝んでいました。
しばらくして、ふと後ろを振り返ると、そこにお母様が座っていらっしゃって、その瞬間に福田さんの両眼から涙がボロボロ溢れて、その場で号泣してしまわれたのです。
そうするとお母様は、「もう何も言わなくていい、何も言わなくてもいい。お前のことはすべて良くわかっているよ」と、30分も福田さんの背中をさすってくださったそうです。遂に福田さんはお母様と和解することができたのでした(拍手)。
それからというものは、福田さんは表情がガラリと変わり、本当に明るくなられました。
これはあくまでも仮定なのですが、もう少し早くお母様と和解することができていたら、もしかしたら肺癌にならなくて済んだのでは、その可能性が高かったのではないかと思いました。しかし、亡くなる前にお母様と和解ができ、本当に良かったと思います。
その後、福田さんは、具合が悪くなって意識が遠のかれた時に、ふと、「お母さん」ともらされたそうです。
50歳を過ぎた男性の口から「お母さん」という言葉がふっと、半意識状態でもれたということを聞いて、母親という存在は、幾つになっても、自分の存在の土台にある、かけがえのない、永遠なる存在なのだなあと思いまして(拍手)、とても感銘を受けたのでした(拍手)。