
(株)ヘルスワン取締役副社長
生長の家栄える会ゲスト講師 中西 里彦

ありがとうございます(拍手)。「あなたは人生の勝利者!」というテーマをいただきましたが、人生の勝利者とはどのようなことでしょうか? スポーツならば試合に勝てば勝利者ですが、人生においては、使命や目的、目標を持って生きているかどうか、そして、それをどれだけ充実して達成できたかということになります。
私はかつて大企業に勤めていまして、徹底して生産効率と能率を優先させて、それでものすごい成績を挙げたのですが、同時に50才代になって多くのものを失うことになり、熟柿が叩きつけられて、実も種も皮も飛び散るように、心身ともにどん底の状態になって了いました。
そのような時に家内が生長の家を信仰しておりましたので、そのお陰で54歳の頃に生長の家のみ教えにふれることになりました。
まさに360度転換して、新しい生命が再スタートすることができたのです。
さて、今日のテーマには“!”が付いておりますが、これはどういうことかと言いますと、「勝利者になりたい」、あるいは「勝利者になろう」という願望や未来のことではなくて、「神の子の皆様は、もう既に人生の勝利者ですよ!」という意味なのです。
「自分は既に人生の勝利者である!」と宣言するわけです。ここをまず理解しておいてください。
神様はこの大宇宙を創られ、万物の霊長として人間に、知恵、愛、生命などの無限のよきものを与えられました。私たちはその本然の姿を発揮して、地上に天国を建設することが人間の使命であるわけです。そのためにはレジュメの第1項にありますように、
富想を持続するようにしさえすれば、われわれは欲する事物を自分のところへ呼び寄せることができる。神すなわち無限供給者、無限英知者、無限能力者、無限生命者と一体であるとの自覚を深め神にわれわれが精神を集中するとき、同波長のものを呼び寄せる原理に従って互いに交流が行われて、想念のうちに描いた富を実現することができるのである。
(『生命の實相』第2巻195頁要約)
この富というのは神の無限供給のことであり、このため我々はやはり富想を持続しなければならないと書いてあります。心の器を大きく、豊かな心、与える心になること。貧相な、貧しい心では絶対に成功しません。
み教えにふれ、まさに神のお導きとしか云いようのないことがキッカケで、私は退職後60歳になって、無資格、無免許、無経験、知識もなければ人脈もない状態のなかで、物流に関する情報を提供し成約に結びつける事業を起こす気運になりました。
そして日本橋三越本店前に事務所を構えました。すると、私の心は同じ波長の人を引き寄せて、事業に必要な資格・免許や知識・経験を持った方々が徐々に集まりだしご縁が結ばれていき、事業は日を追って順調に展開していきました。
70歳までの10年間で五千万円の手数料収入を目標にしたのですが、それを8年間で達成することができ(拍手)、所期の目標達成を機に事業を解散しまして、68歳からボランティア活動を始めました。そのボランティア活動においても、神縁としか云えない素晴らしいこととの出会いがあって、それらを進めていくことで、社会のお役に立っている喜びが、私を生き甲斐として支えてくれています。
続いてレジュメの第2項をご覧ください。
不足を思い煩えば、不足なものにのみ波長が合い、更なる不足を呼び込む。しかし、今まで与えられていたものに与えられっぱなしで感謝も報恩もしなかったのを、これからは与え返して行く。そこに無限循環の道が開けて供給が実現するのであります。
(『生命の實相』第8巻142〜145頁要約)
不足を思えば不足を呼ぶ、だから、ぼやいている人やマイナスのことを思い語る人に繁栄している人はいないでしょう。私はマイナスの言葉は、一切口から出ませんし思いもしない日々です。家内はそれを楽天家と云い、娘は“脳天気”(笑)と云ってくれますが、私はそれを私に対する褒め言葉と受けとめています。
僅か8年の事業の経験でありましたが、いろいろな方との出会いとご縁があったこと、そして心の法則(神の大道)に従って行動をとる限り、事業は運を伴いながら展開していくことなどを更に学ばせていただきました。また事業解散後のボランティア活動も、他者のお役に立ちながら全てが学習の場でありましたが、心躍る思いの日々であります。
無限なる神の心は、こちらが神に振り向けば、循環の法則に従って必要な供給を与えてくださいました。(生長の家を知らない)私の友人は“あいつはついている”“運がいい”“偶然だ”などと片付けますが、すべては法則にのった結果の必然であると思っています(拍手)。
また、私たちは大自然の中にも無限循環の姿を見ることができます。
例えば、海中においてはバクテリアがプランクトンを育て、そのプランクトンを餌として小魚が成長し、それを中魚が或いは大魚が食していくが、その中魚、大魚が海中で死ぬと海底に沈んで分解されバクテリアに帰っていき循環を繰り返す、水も同じように、海水が蒸発して雲となり、それが霧や雨や雪になり、あるいは氷ともなる。それらが田畑や森を潤して動植物を養い、川となって海に流れて、蒸発して雲となる、というふうに循環している。
これは自然界ばかりではなく、人と人との関係でも、循環の法則はあります。愛を与えれば愛が返ってくる。レジュメの第3頁に、
人のうちには、「仏性」「神性」が宿っており、それを展けば無限の力を発揮し得る
(『新版 生活の智慧365章』36頁)
とあります。
仏性とは何かといいますと、真善美を愛する心ですね。あるいは愛、慈悲喜捨の四徳の心、四無量心ともいいます。人の悩み苦しみを共に悲しみ、人の苦しみをとってあげたいという慈悲の心。他の喜びを見て共に喜ぶ喜徳。その心を失わず、やがては凡てを放ち去って自由自在な心になる捨徳、これらが仏心です。
全ての人は神の子で仏心が宿っているから、お宮やお寺に参ったり、法事をしたりする。けれども自己が神の子であることを深く追求する人は少なく、自分は肉体であり、有限であると思って、自己縮小してしまっている。だから次に、
「肉体がある」という観念から解放されれば、肉体はあっても、われわれは本然の自由を発揮する。
(『生命の實相』第25巻80頁要約)
と書かれています。解放されるということは、今まで自己を肉体だと思ってる自分よりももっと限りなく大きな存在があったと気づくことです。また、本然の自由とは、神の全ての完全さのことで、本然の完全さのままにおかれたとき、現象面のあらゆる事象が、調和のとれた形として現れてくる。
私達は心があるからものを考え、思いに耽ることもできる。ではその心はどこにあるかというと、心臓や脳髄など肉体の中にあるのではなくて、心は超越的に内在している。
それでは自己を肉体と見ていた迷いを打ち破って、霊なる完全なる自己の本体を自覚するためにはどうしたらいいか? それは、神の子の生命を生きようと決意する、この決意が大切なのです。
その決意ができたら、皆さんもこのセミナーでおやりになったと思いますが、今までの自分の色々な思い違いや人に対する悪感情を全て紙に書いて、『甘露の法雨』を読誦する中で焼却して新生する浄心行、それを行った後に、肉体の目、耳、鼻、口、触覚の五官の世界を去って、神の子なる本源の世界、神と一体となる実相の世界に超入する祈り。これが神想観ですね。この2つを行って、神の子の霊なる自分の自覚を深めて行くことが大切です。
皆さんは夜休む前にお風呂に入って体を清められると思いますが、それと同じく神想観は、一日の心の垢を落とす、心の清掃です。今日一日の凡ゆる出来事に感謝をする。そして翌朝、まだ眠たい時に神想観をする。何故かと言うと、「俺が俺が」という我の心を取り除くためです。神想観は我を取り除く修行でもあります。
心は自覚の心である現在意識と、その奥にある、習慣の心、傾向の心である潜在意識があり、さらにその奥に神の心がある。
「わが魂の底の底なる神よ、無限の力よ湧き出でよ」とやるでしょう。自分の我をなくして、その底の底なる神の心に波長を合わせる時に、神は愛なりで、与えたくてしょうがないのですから、パーッと素晴らしい力が出て来るのですが、神は無限力を与え(供給)たくとも“我”があると壁になって了うのです。だから神想観をしっかり行いましょう。
そして次に大切なのは、コトバの力を知ることです。
普通、言葉と言いますと、口で言う言葉を指しますが、生長の家では、思念(心の持ちよう)と、発声音(心の響き)と、表情(心の波動、雰囲気)の3つを総合してコトバと言います。総裁先生が講習会で説かれる身口意ですね。この3つのコトバが非常に大切です。
心で思い、言葉に出し、表情や動作で心の思いを伝える。この心の思いと、口から発する言葉の響きと、表情の3つを、明るい、積極的なものにしていかないと、運命は良くなりません。
コトバには運命を創る創化力がありますから、日常生活のコトバを変えれば、必ず人生は素晴らしく変わります。
そして大切なのが、人のために尽くすことです。次のように書かれています。
ひとのために何か尽くそうと真剣になって努めるとき、今まで自分一人ではどうにも抜け出すことのできなかった境地をつきやぶって、新たな世界、より一歩前進した境地に出ることができるのであります。
(『運命の主人公』157頁)
これは私にも経験がありますが、この世界は自他一体の世界ですから、人のために尽くす時に、神の御心と波長が合って、より素晴らしい世界が開けてくるわけです。
そして次に、
自己限定と自縄自縛とを破るとき、〝人間神の子〟として自己の中に内在する処の無限の智慧と力とが解放せられ、人と時と場所とに応じて自由自在の行動がとれ、何事を行うとも常にその希望を実現し得るようになるのである。
(『新版 希望を叶える365章』163頁要約)
と書いてありますね。ここには大変大切なことが書いてあります。
肉体の自分から、神と一体なる神の子の自覚へ生まれ変って自己を解放する。そうすると、人事処に応じた自由自在な行動が取れるようになると。
私にも経験がありますが、ある時、午前中に新宿のヒルトンホテルで知人にばったり出会いました。互いに人と会うところだったので「久し振りだね」と挨拶をして別れました。ところがその日の夕方、銀座でまたその人に会ったのです。同じ日に二度も会うというのは、偶然ではない。これは共時性現象といって時間を共にした高次元の何かがあるのです。それで「是非お会いしましょう」と、次に会う約束をして別れました。そしてお会いして話をしてみると、お互いが考えていることが全く同じで、そこからトントン拍子に話が進み、冒頭にお話したように、無経験、無資格の、何もないところから、1つの大きな仕事が決まったわけです。(拍手)
ですから絶えず明るく、前向きで、暗いことを一切考えもしない人生になったら、勝利者にならざるをえないのです。
生長の家では、「日時計主義の生活」の実践が勧められています。『生命の實相』第7巻の27頁から28頁に、次のように書かれています。要約します。
多くの人々は自分の出会った不幸を、不愉快を、憎みを、嫉妬を、嘲笑を、できるだけ記憶し、言葉に出して復習しようとしているのはどういうわけだろう。彼らは「心の法則」を知らないからである。彼らは言葉の創造力を知らないからである。「語るものは皆あらわれる」どんな不幸な出来事も、思い出した時と言葉に出した時とのほかには存在しないということを知らねばならぬ。
諸君よ、われわれは、輝く太陽の日のみ記録する日時計のようになろうではないか。悲しみをいつまでも心にためて置いてなんの得るところがあろう。損失をいつまでも思い出してなんの利益する処があろう。失敗をいつまでも後悔して意気沮喪しても世の中は益されはしないであろう。すべてこれらは人生の出来事中のカスである。カスにいつまでも執着するな。カスを捨てよ。盗人を追い出すようにカスを心の外へ捨てよ。われわれの心はカスよりも高貴なものだということを知らねばならぬ。
朝夕の神想観で、心を明るい日時計のように神様に合わせて、勝利者の人生を生きましょう。ご清聴、ありがとうございました(拍手)。
◯「第60回能力開発セミナー」(平成22年5月)での講話:本部練成道場◯