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繁栄ストーリー

繁栄ゼミナール体験談

森  久彦(石川教区)

森久彦

皆様、ありがとうございます

私の会社は、産業車両の運転室を作っています。おそらく日本で一番小さなキャビン・メーカーです。試作品や特注品を設計から完成品にまで仕上げて、トヨタ・コマツ・三菱など車両メーカーに納入します。皆さんの工場にもあるフォークリフト等に使われています。種子島の宇宙ロケットの打ち上げ台の運転席や、ジャンボ・ジェット機を引っ張るトラクターの運転席、東京ドームの観覧車も作りました。社員は20名足らずですが、日頃から社員には、誰にも負けないピカイチの商品を作ってお客様に提供すれば、へたな営業をしなくてもお客様の方からお金を持って買いにきてくれることを教えてきました。わが社の商品が最大の営業マンです。

私は能登の田舎町で五人兄弟の四番目として生まれました。両親ともに学校の先生という家庭であり、子供の頃は祖母に育てられました。祖母は熱心な日蓮宗の信者で、朝には太陽を拝み、夜には月に合掌する祖母の姿を見て育ちました。小さい頃には近くで小児麻痺が流行して、同年代の子供が五人発病したそうですが、祖母が神仏にお祈りをしてくれたお陰で、私ひとり無事に助かったのだそうです。

学生時代は空手道の部活一本で過ごして、勉強は余りしませんでした。二十五歳で養子結婚しましたが、一代で事業を成功させた義父と頭でっかちの私とは、意見が悉く衝突して、離婚の一歩手前まで行きましたが、子供の事を考えて思い留まりました。

三十九歳の時に構造的不況の繊維産業から鉄工業に業種転換をして、現在の会社を作りました。最初は妻と社員の三人でスタートし、毎晩遅くまで仕事をしても楽しくて、利益もどんどん上がりました。ところが仕事が軌道に乗ってきた折に、支店を任せていた支店長がお客を持って独立しました。営業を全て任せていたので、大変ショックを受けました。

そのような時期に川島一雄さんに出会いました、いつもニコニコした笑顔なので、どうしてそのような顔つきでいられるのですかと尋ねました。当時川島さんは石川教区栄える会の会頭をされており、「生長の家の真理を知れば、いつでも心穏やかで、安らかですよ」と教えてくださいました。早速私も栄える会に入会して、宇治の練成会に参加しました。

初めて聞く真理は哲学のようで、また科学的で、感動の毎日でした。帰ってからは車に乗ったときに必ず『真理の吟唱』のテープを流して聞いたり、幹部社員や家族に練成会への参加を勧めるなどしました。

ところが仕事が順調に進んで毎日が楽しくなってくると、私はいつしか生長の家の信仰から遠ざかっていきました。まわりからの誘いもあって、色々な勉強会や奉仕団体などに顔を出して、陽の当たる処が気持ち良くて、背伸びをして見栄を張った毎日を送り、会社には殆ど顔も出さないで、会合の掛け持ちと酒宴のスケジュールでいっぱいになった手帳を見ては満足という気持ちで一杯でした。沢山の人達に取り囲まれて自分を見失っていたようです。

いつも社長の不在の会社が上手く行くはずがありません、大きな不渡りが次々と来て、資金繰りが詰まってしまいました。四年前の三月のことでした。

まず自分のことより社員の生活の事を考えました。本屋で倒産関係の本を二冊買いました。その中で民事再生の事を知りました。税理士に相談して弁護士を紹介して貰い、資料を作って裁判所に民事再生の手続きを願い出ました。負債総額3億8千万円で倒産です。

会社を倒産させるとは…。償えない自責感と将来の不安とで頭がいっぱいになって、何も考えることが出来なくなりましたが、債権者会議の始まる前に、私の経営者仲間が監督委員の弁護士に、「森さんの会社を潰さないでください」と連名で嘆願書を提出してくれました。大変嬉しかったです。

債権者会議では一人の反対意見もなく、会社再建に同意していただきました。負債額の75パーセントの債務免除で再生案が通りました。残り25パーセントは10年間の分割返済です。債務免除額は累積赤字があれば相殺されますが、会社の利益とみなされて倒産した企業が税金を支払うことになりました。

住んでいた家も売却して借金の返済に充てて丸裸になりました。兄弟の所を回って当面の運転資金と住宅の購入資金を借りました。

会社は昨年の十一月、法的に民事再生を終結して正常な状態になりましたが、私の保証額はこれから少しずつ返済して解決していきます。兄弟からの借金も完済しました。

私は六十歳で息子に会社を譲りました。倒産をした会社を継ぐ息子は大変だったと思いますが、経営者の家に生まれた者の責任として引き受けてくれました。今では若いデジタルな感性で社内は全てコンピユータで自動化されています。息子いわく、私の経営は高速道路を荷車引いて走っているようなもので、後ろからくる人の迷惑になっていたそうです。

中小零細企業にとって事業継承は一大事業です、今まで沢山の経営者と会って来ましたが、経営を任せることについては誰でも悩んでいます。私の場合、息子が子供の頃から家では会社であった悪い事、苦しい事は、言わない、聞かせない、子供の前では美味しいものが食べられて楽しい生活が出来るのも、会社のお陰だと言って聞かせていました。また事業主は自分の家族だけではなく、社員の家族への責任も持って正々堂々と経営をする事の大切さを教えてきました。社長になる為の王道学は他人は教えてくれません。父親の背中を見せて体験して解るものだと思います。責任と権利に伴うご褒美も併せて教えました。

仕事を譲ってからの第二の人生は、今まで色々な人達からいただいたご恩を返す仕事に就きたいと思い、中国から若い研修生を日本の企業に受け入れる為の事業共同組合を作って理事長に就任しました。今は90名の研修生を受け入れています。

日本での父親として、生活指導や地域の人達との交流を通して、お互いの国の文化を理解しつつ、将来の役に立つように生長の家の真理の言葉を教えています。そのような交流の中で中国の若い友人が沢山出来、毎日のようにインターネットで情報交換をしています。就職のことや、恋人のこと、家族のこと、将来の心配事等の悩みに対して、生長の家の教えに沿ってアドバイスをします。私を哲学者のように思い慕って、老森と呼ばれています。

今では中国遼寧省盤錦市の外国語学校の特別顧問ともなり、4年後に現地の教室で日本語を教えて、若い人達に何時でも何処でもワクワク・ドキドキする生き方を伝えながら、自分も20代の時のような感動のある人生を送っていきたいと思っています。

また昨年は、地球温暖化防止のためのNPO法人「世界の砂漠を緑で包む会」に参加して、内モンゴルのゴビ砂漠で現地の小学生と協力して、砂漠化防止の植林をし交流を深めてきました。参加した人達は目を輝かせて、楽しそうに奉仕を体験していました。今年も行こうと思っています。

この地球温暖化の問題は、今大きく叫ばれていますが、総論賛成でも各論になるとなかなか解決が出来ないことが多くあります。私たち一人一人が勇気を持って取り組まなくては、取り返しのつかない事態になってしまいます。気がついたら「茹でカエル」状態です。昨日と今日は余り変化がありませんが、数年後にはハッキリと結果が現れます。それからだと間に合いません。今、この瞬間から自分の出来ること、やらねばならない事を実行していかねばならないと思います。

私は昔から色々な機械を企画開発・製品化するのが趣味でしたので、それを活かして7年前にてんぷら廃油から液体石鹸を作る機械を開発しました。この機械は知的障害者や身体の不自由な子供でも安全に使用できるよう工夫して開発し、長野県の知的障害者の授産施設「ねば塾」と共同販売をしています。おかげさまで「ねば塾」は自立型授産施設として注目をされています。

液体石鹸は従来の合成洗剤と違い天然石鹸のため合成洗剤の三十倍も早く分解され、また固形石鹸に比べて使用範囲も広いので、2001年に滋賀県の琵琶湖環境博にも出品して好評を得ました。また、石川県知事が認定する「石川ブランド」優秀作品にも認定され、石川県から補助金もいただきました。

この春より石川教区の栄える会の会頭の職を拝命いたしました。栄える会を生長の家の宣伝広告塔として、生長の家を知らない産業人の人達に一人でも多く知ってもらって、生長の家の玄関に靴を脱いで、家の中に入って真理に触れていただき、産業人の為の異業種交流の場として、お互いを人生の先輩、先生、専門家として敬いながら交流を深めて、仕事の上の悩みや、アイデイアの交換等、お互いを讃え合う場として、友人を沢山作る活動を広げていきたいと思います。

皆様も石川県にいらっしゃいましたら、ぜひ声を懸けてください。お互いの地域交流も大歓迎します。

ご清聴いただき、ありがとうございました。

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