
紺碧の美しい海と紀伊山地の山々に恵まれた自然の宝庫、高野山や熊野三山など世界遺産にも登録された山岳霊場もあり、大自然の中で歴史と文化が育まれてきた素晴らしい県、それが私の住む和歌山県です。
しかし、私がここに引っ越してきた昭和46年頃は、人の作り出している環境がきわめて悪く、道路脇の溝にはポイ捨てされたゴミが散乱し、自宅のすぐ前を流れる和歌川は、家庭排水の洗剤で泡立ち汚く濁っていました。その川に棲むボラやイナなどの魚は背骨が大きく湾曲した奇形が多く、団地の入居の説明会で「家庭排水は浄化せずそのまま和歌川に流している」と聞いたのを思い出しゾッとしました。近所の土手には空き缶・空き瓶、スナック菓子の袋やたばこの吸殻、紙くずなどが散乱し、側溝には風に飛ばされたビニール袋などがぎっしり詰まり、水が流れないほどでした。
■一人から始める
私は「なんとかせんと大変なことになる」と思いましたが、今のように環境問題も叫ばれず、エコという言葉もない時のことで、伝えることもなく「たった一人でも、始めたらええんや」と思い、ゴミ拾いと家庭排水をきれいにすることから始めました。週一度、大きな袋とはさみを持ってゴミ拾いに出かけました。川へ行くと、剥いた豆の皮を平然と川へ放り込む奥さんや、庭のゴミや袋に入れた残飯などを川に捨てる人もいて、私は「なんであんなことをするんや!」と頭に血がのぼりましたが、注意する勇気もなく、一人で黙々とゴミを拾い続けながら、腹が立ってしかたがありませんでした。
しかし7年ほど経って、近所の奥さんから手渡された普及誌『白鳩』で生長の家に触れ、天地万物に感謝する大切さを知って、「ゴミがあるからこそ、拾ってきれいにする楽しみがあるのだ」と捨てた人にも感謝して取り組めるようになったのです。怒りから感謝へ、まさに180度の心境の変化でした。
■水を汚さないために
私は家庭内では汚水を出さないことを心がけ、米のとぎ汁は植木にやり、煮物やおでんなど料理の残り汁は新聞紙や古着の切れ端などできれいに拭き取り、一滴も下水には流しません。一度汚れた水を元通りにするのは大変だからです。水質浄化のために毎日キャップ一杯のEM菌をじかに排水溝に流し、油を漉すときに使うクレーパウダーや、燃やしてもダイオキシンの出ないラップ等など、環境にいい物はどんどん取り入れるようにしています。
■できる範囲で、精一杯取り組む
環境問題を突き詰めていけば、人間の意識という個人の問題にたどり着きます。世界も国家も家庭も、一人ひとりの人間の集合体ですから一人が変わらないことには全体も替わり得ないのです。たとえ知識があっても、“面倒くさい”“高くつくから”では何一つ変わらないでしょう。だから自分でできることを精一杯やることが大切です。
自然のすべての物は尊い神の生命の現れとして感謝し、共生していくという宗教的な心が、環境問題を解決するうえで大事になってくると思います。私一人から始めたゴミ拾いに孫も加わり、大きなゴミ袋三つが一杯になったこともありましたが、現在はゴミも少なくなりました。ポイ捨ては恥ずかしいことだという認識が広まったせいかもしれません。
あれほど汚かった和歌川も、市が行った川底のヘドロ除去作業と、浄化施設ができて生活廃水の垂れ流しがなくなったおかげで、今ではボラの群が飛び跳ね、エイが優雅に泳ぐ姿を目にすることができます。桜の名所で知られる紀三井寺の山では、千両の実をついばむモズやメジロなど多くの鳥が見られます。私は自然豊かな現在の環境がとても気に入っています。
次世代のためにという使命感、正義感に突き動かされて始めた環境保全活動ですが、今ではすっかり私の楽しみの一つになりました。これからも環境にいいものがあったら積極的に取り入れ、よりよい未来のために尽くしていきたいと思います。
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