【2月の体験談】
三度目の結婚で、最高の幸せに巡り合う
私の最初の結婚は二十三歳のときでした。短大卒業後、医療事務の仕事をしていた時に縁談が持ち上がり、気乗りはしなかったのですが、私の地域は結婚も親や親戚が決める因習が残っており、祖父と両親、親戚の人に説得されて結婚しました。
結婚するからには幸せになろうと思いましたが、相手の悪い面を見つけると全部が悪く思えてしまう性格もあり、また、婚家は兼業農家で、義母と祖母に小姑もいる大所帯で、家事に加えて農作業にも懸命に励んだものの、どうしても家庭に溶け込めず、子どもを授からなかったこともあって十年で離婚しました。その間に、友人から生長の家を伝えられ、滋賀県教化部の職員になりました。
生長の家で「悪は本来なく、すべては自分の魂を磨いてくれる砥石である」と教えられ、誰も恨むことなく、別れた夫や姑を祝福することができました。
その後、再婚しましたが、相手の男性は仕事をせず、パチンコにのめり込み、家にも帰ってきません。私は、夫の父方、母方を含めて先祖を供養し、救いを求めました。しかし、互いの気持ちのズレは修復できず、四十三歳のときに離婚しました。
「生長の家を知りながら、なぜこんなことになってしまうのだろう。私の信仰が足りなかった」と思い詰め、「家庭を築くのは、私には無理なのでは」と結婚をあきらめかけました。
しかし、もう一度、生長の家の信仰を深め前向きな気持ちで生きようと思い、三正行を真剣に行じました。また、「男女は夫婦になって魂を高め合う」という教えを思い出して結婚への夢をつなぎ、教化部での仕事に懸命に打ち込みました。
そして毎朝の神想観で、「すでに最高の伴侶と巡り合いました、ありがとうございます」と感謝の祈りを捧げ、『日時計日記』には「頼りになる主人と可愛い子どものいる温かい家庭があって幸せです」と書きました。知人から言われた「結婚に二度失敗して、三度目に幸せになった人もいる」という言葉も励みになり、「私ももう一度結婚しても良いのだ」と思えるようになりました。
平成二十一年十月、その知人に紹介されて魂の伴侶となる北原雅之さんとお見合いをしました。相手の方と出会った瞬間、気張っていた心がフワーと溶けるような、ずっと以前から一緒にいたような、何の違和感もない不思議な印象を受けました。一歳下の雅之さんも同じような印象だったようで、すぐに軽口も言える仲になり、出会って二カ月後の十二月に挙式の運びとなりました。
あまりの速さに父親に叱られました。でもそのことで却って父親の深い愛情を知ることができました。
今はお互いに仕事があるので、休日にドライブなどに出かけて二人で過ごすことを心がけています。もちろん、日々の生活には色々ありますが、いつも主人の何気ない優しい言葉に心が癒やされています。
私は結婚したとき、生長の家の先輩から、『幸せになります』ではなく、『北村家に嫁いで幸せです』と毎日思うのよとアドバイスされ、今もそれを忘れずに実践しています。
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